マケドニアの概要

マケドニアの歴史

マケドニア

マケドニアは東ヨーロッパのバルカン半島に位置し、古代史ではアレクサンドロス大王を輩出したマケドニア王国の故地になりギリシャ人が多く住んでいました。

しかし、その後はスラヴ人が侵入し民族国家を持つことなく東ローマ帝国やセルビア・ブルガリアの支配を受け、15世紀にはオスマン帝国に征服されました。

オスマン帝国の国力が弱体化しバルカン半島のマケドニアと呼ばれた地域は、一足先に独立した周辺国によってギリシャ・ブルガリア・セルビアに分割されることになりました。

セルビア領マケドニアは第一次世界大戦後にユーゴスラビア王国の一部となり、第二次世界大戦後の1991年には共和制から連邦制へと移行していたユーゴスラビアからマケドニア共和国として独立を果たしました。

マケドニアの基本データ

国名 マケドニア旧ユーゴスラビア共和国
首都 スコピエ(Skopje)
人口 210万人
面積 2万5333km2(九州の約3分の2)
政治 共和制・議院内閣制
通貨 MKD(マケドニアデナール)1MKD=2.3JPY
時差 -7時間(サマータイムあり)
国際電話番号 389
公用語 マケドニア語。街中であれば英語はだいたい通じます。
宗教 マケドニア正教が7割、イスラム教が3割

マケドニアの近年の状況

マケドニア国旗

マケドニアは独立後の国旗に古代マケドニア王朝のシンボルであったヴェルギナの星を採用するとともに、国名をマケドニア共和国に変更しましたが、同じく旧マケドニア王国を故国とするギリシャが納得せず経済封鎖を行うなどして、国旗の変更をせざるを得ない状況となりました。現在でも国名論争が続き、国連でも「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」という暫定国名となっています。

2000年代に入ると人口の2割を占めるアルバニア人が待遇に不満を持ち、民族解放軍を結成することでマケドニア紛争が勃発することとなり、結果的にアルバニア人の権利向上を認めた和平合意が結ばれました。対立したマケドニア人とアルバニア人ですが現在の関係は良好で治安も回復しています。

マケドニアと日本の関係

経済交流

マケドニア共和国と日本では経済的交流は少ないですが、マケドニアが発展することが周辺諸国全体の安定にも繋がると考えられ、ODAの一環として技術協力や草の根無償資金協力が行われています。草の根・人間の安全保障無償資金協力

文化交流

文化面ではマケドニア・フィルハーモニー管弦楽団に対して楽器の無償供与も行われています。マケドニア・フィルハーモニー管弦楽団に対する文化無償協力について

マケドニア さくら祭り

また、日本人の定住者が少ないですが首都のスコピエでは「さくら祭り」が開催されて地元の人々が多数参加しています。

桜祭りは日本から寄贈した桜の並木道が満開になる頃に開催され、折り紙・俳句・書道・居合等の日本文化の紹介が行われています。

マケドニアの著名人

アレキサンダー大王

アレキサンダー大王は古代マケドニア王国の英雄で、空前の大帝国を建設し古代オリエントとギリシャの文化が融合したヘレニズム時代を開いた人間です。

マザーテレサ

マザーテレサはマケドニアの現在の首都スコピエ出身でキリスト教の修道女でしたが、宗教や人種で差別を行わない献身的な奉仕活動によって聖女と呼ばれ、その活動が評価されノーベル平和賞を受賞されました。